帰省することへの思い
僕の両親は、神奈川で僕(と兄)を育て、僕らが社会人になって10年くらいしたころに生まれ故郷の九州の離島に帰っていきました。そして、両親が生まれ故郷に戻った時点で、僕は両親となかなか簡単には会えない環境になりました。さらに、最近はコロナ禍で帰省を控えていたので、最後に会ってから2年が過ぎていました。
帰省前夜から久しぶりに会う両親の事を考えて少し緊張していました。電話口での声はいくらでもごまかせるけど…元気なのかな…老けただろうな…今幸せだと思えているのかな。そんなことをぐるぐると考えていました。
いつも引け目を感じていたけど・・・
僕には双子の兄がいます。一卵性でそっくりな兄です。彼はヘテロセクシャルで、結婚して夫婦と子どもが2人いて幸せそうな家庭を築いています。
それとは対照的に、喜ばしいニュースを持ち帰ることのできない自分自身の人生のままならなさ。(カミングアウトについては別の機会に書くことにして)僕自身の事情は両親ともに知っています。
でも、兄の家族(孫)の話を『相手するのも疲れるのよぉー』みたいな、ちょっとだけ意地悪に言うのを聞くと『ああ、気を遣わせているな。。』といつも引け目を感じていました。
でも、今回久しぶりに会ってみると両親は両親なりに、『父親』とか『夫』とかに変わっていない『ただの息子』である僕の存在を懐かしんで、それを楽しんでいるようでした。
僕が子供の頃に見ていた懐かしい表情や口癖は今もそのままだったけど、兄夫婦や孫に対する時はきっと違うはずです。そのことに気づいた時から、『ただ存在しているだけで全肯定されている』ようでとても温かく感じました。そのことが、今後の僕の両親との向き合い方を変えてくれそうな気がしています。
会えるうちに会っておきたい。後悔しないように。
会う前から覚悟はしていたけど、両親のすっかり加齢した姿をみて、かつて亡くなった祖父母が入院した時のすっかり変わってしまった姿を思い出し、僕ら親子にとって残された時間は決して多くはないことを嫌でも実感せざるを得ませんでした。
両親が元気なうちに会う機会を増やしていきたいし、万が一の時は少しの間でも一緒に暮らすことを真剣に考えてみたいと思うようになりました。
最近の僕は職場の不満や自分のキャリアの迷いなど、仕事と人生を結び付けて考えることが多かったように思います。幸せって何だろう。どうすれば満足するのかな。死ぬときに後悔しない生き方って何だろう。。。答えは出ないけど、少なくとも今まで立っていた視点では視野が狭すぎることが分かりました。
不運がなければ、まだ僕も半分近くは人生が残っているはずです。遠くを見過ぎずに毎日の確実な一歩を積み重ねたいと気持ちを新たにしました。
朝の滑走路で見た幻想
今回の帰省は、朝早い時間の羽田発の飛行機を利用しました。
朝日が滑走路に降り注いでいて、客室の窓からは、まぶしい光が真っ白に見えていて、その光に向かって順番に並んだ飛行機が離陸していく光景はとても幻想的でした。
そして、なぜかその光景に人生の終わりを瞬間のイメージを重ねてしまったのです。それぞれに与えられた時間を生きて消え去っていく人生を。思いがけず後ろから殴られたような衝撃を感じてジーンときてしまい、あふれてくる涙をそっと拭いました。。。そこで心の鎧が一枚とれたのかもしれません。
それから両親にも会って、人生の持ち時間が有限であることをさらに思い知らされ、今僕は1週間前とは違う自分になれたような気がします。
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