『自分の』『自分による』『自分のための』転職
タイトルつけてみたらエゴの強さに驚いてしまいました。笑。
いつになったら自分探しみたいなことをやめられるのかなと思うこともあるし、反対に自分探しなんて、ゲイで身軽に生きている自分が許されている数少ない特権のようにも思えます。
転職の話を同僚とするとその部分の温度差が大きいことに気が付きます。
僕は自分のための転職。同僚は『家族と』自分のための転職。燃やせるエネルギーの量は少ないかも知れないけど純度は高いはずだと思っています。
過去の僕の失敗
今、転職活動していて、過去の自分の職業選択に関する失敗は主に2つあります。
1つめは、何でも知った気でいて、素直にわからないと言えず、『そんなことは僕より頭のいい人/有能な人がする仕事だから』なんてどんな仕事かなんて分かろうともせず、可能性の枠から外に追いやったこと。
新卒の頃は自分の知らない仕事がたくさんあって、未経験でも門戸が開かれていました。でも、今探しても40歳以上の未経験者は募集要項の時点で対象外にされてしまう。あの頃もっと仕事を知ろうとしていたら、今僕にある選択肢はもっと多かったかもしれません。
2つめは、唯一の取り柄と言えた真面目さを、『そんな堅苦しいのはダサい』なんて捨てようとしたこと。
勉強ができるとか真面目とかそういうんじゃなくて、純粋に人に好かれたい。人気者になりたい。センスがいいって思われたい。分かりにくいもので評価される唯一の存在の人間になりたいと思ってしまったのです。かなりのこじらせだと思います。
そう思ってずっとやってきたけど、そんな人は滅多にいないし、そもそも特別な能力なんてなくてもみんな唯一の存在の人間であるということを10年くらい働いたころから気づき始めます。そして、その頃から自分を縛る『人に好かれたい』『センスがいいと思われたい』『分かりにくいもので評価されたい』という呪縛が解けてきました。
20年におよぶ勘違いを振り返りながら今思うこと
今までは『得意/不得意』や『好き/嫌い』よりも、『こうありたい』という理想の方が大切でした。でも理想を追い求めようとすると、足りないものを延々と追いかけて満たされることがありません。
だからいつもちょっと不安で、苦手なことを克服した先にきっと理想の自分がいるはずだから…とずっと言い聞かせながらやってきました。でもそれは間違っていたかもしれません。
むしろ得意なこととか性に合ってることをやって心を満たしながら、少しずつ欲を出してもうちょっと頑張ってみようと思えた方が幸せです。それなら現状維持でも辛くないと思います。
これからどうするか
結局何がしたいのか・・・それはまだはっきりしていません。
ただ、自分のように『働くことに悩める人』をサポートする仕事がしたい。という方向性だけははっきりとしてきました。そういう仕事にどんな形(職種)で関われば自分の『得意』や『らしさ』が活かせるのか分かりませんが。
だから今回はあまり最初から可能性を狭めずに、分からないことは分からないと言って、きちんと恥をかいていこうと思います。
転職活動を通してもう一回変身したいです。今みたいにまた『20年後の後悔』をすることのないように。
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