結論:淋しかったから。楽しそうに見せたかったから。
こんなこと転職面接の時には言えないよな・・・
かなりダサかったんだと思う
気に入るまで店を回って、納得したものを買うような買物をするようになったのは大学生になってからでした。それまでは流行りものを身につけるなんて『軽薄でカッコ悪い』とか、『芸能人とか、見られる仕事じゃないのにおしゃれとかする意味あるの』みたいにかなり偏った考えをしていました。
大学生になって同じサークルの子に『(モンティ)さんの今日の服パジャマなの?』って聞かれるようなレベルでした。
そこで先輩方が美容院を紹介してくれたり、当時流行ってたマルイとかに連れて行ってくれて、ようやく平均点の感じになりました。
それまでは『ガリ勉眼鏡くんタイプ』でした。実際、高校では『眼鏡くん』と呼ばれていたこともあります。笑
それがちょっと変わるだけで、なんだか楽しそうな人から遊びに誘ってもらえるようになりました。大学生の頃まではそのくらいで良かったんだと思います。
服装で何となく楽しい人のふりをすることを覚えた
大学生の頃はそれで十分楽しかったのですが、社会人になると一気にそういう付き合いはなくなります。
また、社会人として適応していく中でどうしても『(いわゆる)男になり切れない部分』に戸惑い、悩み始めるようになりました。
そうすると途端に孤独感に苛まれるようになりました。誰にもその悩みは打ち明けられないし、打ち明けられるほど親しい人もいない。。。みたいな。
そんな時でも外見だけは取り繕って流行りの服を着てみたり、ちょっと個性的なものを選んでみたりして悩みだらけの自分の内面を見せないように武装するようになりました。
『スーツに抑圧された自分は、私服に着替えて本来の自分に戻る』みたいな気持ちでいたのです。
役割があれば話しかけてもいいはず
そして、『友達が無理でも店員とお客様という役割があれば、お互いに話しかける理由ができるはず』と思い、完全に孤立しない方法としてショップスタッフを選びました。
よくイメージする会社の営業よりも、よりパーソナルな対応でいいところも魅力でした。
なので、自分のすこし堅苦しい性格を和らげるために、丁寧にサービスすることはもちろんですが、それ以上に『買っていただけてうれしい』『お話してできてうれしい』という気持ちが伝わるようにして少しでもいい気分になっていただきたいと思っていました。
現に、ここまで続けられたのはその方法で大きく外れていなかったんだと思います。
なのに、辞めちゃっていいの?
コンプレックスという薪を燃やして、それをエネルギーにして働くのは十分にやったという感じなのです。
当時受け入れ難かったコンプレックスが受け入れられるようになり、対処する方法も分かるようになってくると、『あれ?なんでこれを必死に克服しなきゃならないと思ってたんだっけ?別にそんなに問題ないけど?』という気持ちが生まれてくるようになりました。
そして、このまま歩けば(今は分からないけど)きっとどこかに続いていくだろうと思っていた道が、急に消えて無くなってしまったように感じました。
だから、このまま迷ってばかりいても仕方がないから、もっと今の自分に合う仕事に変えたいと思うようになりました。そして今の状況です。
最近、辞めることを『卒業』と表現されることがよくありますが、それは綺麗事のように聞こえて今までは半信半疑でした。
でも、僕自身も退職を考え始めると、良かったことも悪かったことも全部そのまま受け入れてくれるような『卒業』という表現が一番しっくりきています。
僕にとっては『対人関係のコンプレックスからの卒業=現職の退職』ということになりそうです。
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